本屋で見つけて買いました。
加来耕三さんの著作です。
加来さんは、テレビで時々見ますし、
面白そうな方なので、パラパラとめくってみました。

そしたら、表紙裏の著者紹介のところに、こんな写真が載っててびっくり。
年齢は、私より上かと思っていたら、何と1958年生まれで、私より3歳も若かった。
そしてもっと驚いたのが、普通の学者かと思っていたら、
古流剣術「東軍流」の第17代宗家だそうです。
しかも、タイ捨流剣法免許皆伝だそうです。
なんと、武闘家だったのです。

私はタイ捨流という流派は知らなかったので、ネットで調べてみたら、
始めた人は上泉伊勢守の弟子の四天王の一人で、
柳生新陰流の始祖、柳生宗厳と並び、
東の柳生、西のタイ捨と言われた丸目蔵人佐長恵が始祖だそうです。
テレビでにこにこ笑っている顔からは、想像もできませんでした。
失礼しました。(^_^;)

現存するような反りのある日本刀が歴史に登場するのは、
平安時代頃かららしいのですが、
上野の国立博物館には、下の写真のような国宝の刀が残っているそうです。
下の刀はなんと、平安時代に渡邉綱が大江山の酒呑童子を斬った刀と言われています。
一条天皇の治世、貴族の姫君が拐かされる事件が多発し、
陰陽師の安倍晴明が酒呑童子の仕業と見抜き、
帝は武家の棟梁の源頼光に退治させたというお話です。
ほんとにその刀なんでしょうか。

下の刀も、同じく国立博物館所蔵の獅子王という国宝の刀ですが、
こちらはヌエ退治で有名な源三位頼政がヌエ退治に使った刀と言われています。
頼政は以仁王の綸旨に呼応して平氏打倒の挙兵をし、
宇治の戦いで敗れて敗死しましたが、
刀は源氏の流れの土岐氏に伝えられ、やがて明治天皇に献上されて
現在に至ると言うから、やっぱり本物か。

下の刀は、南北朝の時代に後醍醐天皇を助けた楠木正成の愛刀、
小龍景光という刀です。
やはり正成が足利尊氏の北朝方に敗れて敗死したあと、
行方が分からなくなっていたものが、
江戸時代に河内の農家で発見され、
明治になってから刀の試し切りを生業とする山田浅右衛門から
明治天皇に献上されたそうです。
明治天皇は、忠臣楠木正成の刀と言うことでたいへん気に入り、
サーベルの拵えに直して、常に佩刀していたそうです。
この刀も現在は、国宝として国立博物館所蔵です。
ほんとに歴史的な刀が現代まで伝えられているのですね。

その他にも、いろいろな刀の話や歴史が載っていました。
高校の歴史の授業で、室町時代には日本の刀剣が中国に輸出されていたということを
習った覚えがありますが、そのころから既に日本の鍛冶などの工業技術は
中国を上回っていたということでしょうか。
そればかりか、異民族の侵攻により王朝が交代してしまう中国では、
刀剣を使った武術が途絶えてしまったのに、朝鮮や日本には残り、
明の時代には、剣の技は朝鮮から、刀の技は日本から学んだという明の武人の話など、
非常に興味深いものでした。
初めて知ることが多かったです。